しらふ倶楽部

昭和の漫画(劇画)を遠望する

つげ義春と私の「童謡詩集」

 私の20代のころの作文は、ボキャブラリ不足のため注釈なしでは読めない難文が多いが、『童謡詩集』は例外である。
 中学生時代は手塚治虫風の漫画を書いていたが、高校1年の秋につげ義春の漫画にふれて、手塚風のタッチから脱却をこころみるようになったのだった。
 しかし一人旅をしたこともない高校生に何が書けるか。『ねじ式』を真似するくらいのところだった。
 数年後につげの『大場電気鍍金工業所』などの少年時代を回顧する漫画作品を見て、その影響でできたのが私の『童謡詩集』だと思うのだが、私が『大場電気鍍金工業所』を見たのはいつであろうか。
 童謡詩集は、1977年2月に謄写版で文庫サイズ50頁弱で印刷したものだが、主要部分は1975年7月にまとめて書き上げたというメモがある。
 『大場電気鍍金工業所』は、1973年4月の『別冊・漫画ストーリー』に発表されたものだが、手にとってみたこともない雑誌である。最初に単行本に収録された本を調べてみると……

『夢の散歩』(北冬書房)1975年6月

 これであろう。童謡詩集の1か月前である。
 この本には懐古的な作品はいくつか収録されているが、少年期をあつかったものが『大場電気鍍金工業所』である。これなら真似できるかもしれないと思った。
 『大場電気鍍金工業所』は、少年と周囲の大人たちの生活が描かれているが、朝鮮戦争の時代が背景にあり、貧困層の大人たちも金儲けの話に目がくらむが、手を出すのは博奕のようなもので失敗していったということが少し描かれている。
 私の童謡詩集でも、いくつかは社会問題を背後に描こうとしている。昭和30年代でもまだ戦争の爪あとは残り、弾薬工場の跡地の地下壕やコンクリートの瓦礫の中で遊んだ私の子ども時代を回想した詩も載せた。
 ほんとうは、漫画で書きたかったのだが、そのときは童謡詩ふうのものが次から次へと頭に浮かんできて、短期間で集中して書上げた。
 40数年後の今、やはり漫画で書きたいという気になっている。『ねじ式』の亜流ではない、つげ義春の影響を受けましたといえるものを一つくらいは書きたいと思う。

 

童謡詩集

童謡詩集
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