しらふ倶楽部

昭和の漫画(劇画)を遠望する

シラケ世代と自律神経失調症

 中学高校生時代というのは、何かスポーツなどで少しは体を動かしたほうが良いのだろうということを、自身の反省をこめて、いつか子孫などに言い残そうと思っていた私の若い日があった。
 学生のころは体調が悪いと何事も欠席が多くなり、おそらく「つきあいの悪い人」ということになっていて、研究分野でも助けられたり助けたりが少なくなっていたように思う。
 体が弱い人でも立派な業績を残す人があるが、短命な人が多いのではないか。たとえ命を縮めてもという判断なのだろうか。そうした判断以前に、私の場合は、疲れることは今日はやめにしようということになっていた。
 平均並みの体力があったほうが、文系の仕事にもプラスになるだろうと、思っていたことがあったのである。

 しかし最近の私については、体が弱いというよりも、自律神経に問題ありと思うようになった。子ども時代からの車酔いをはじめ、すぐに息苦しくなって運動が続けられなかったとか、思い当たることはいくらでもある。
 60歳を過ぎると早死にをする人が目につくようになるが、あの人は体が弱かったから……などといわれると、自分は自律神経が先にエンストを起こすので、無理をせずにここまで生きてこられたに違いないとも思うようになった。プラス面もあるのである。
 人によっては体の弱さを忘れてしまうほど仕事に集中してしまって体を壊し、早死にをすることもあるのではないか。そのような無理を今までしなかったのは、何事も明日やればよいと考えたからで、その「明日」がある年齢まではじゅうぶんにあったからであるが、残り時間が少なくなった今は、無理をしてしまいそうな気もする。

 以上は、まったく個人的な問題のつもりで、書いた。

 ところが、
 『自律神経失調症の謎』(鈴木修二、有斐閣新書 1982)
という本を見ていたら、次の部分に目が止まった。

「理屈を言わない人は救われる率が高いんですよ。もっとも、自律神経失調症の人は、よく言えば醒めている。悪く言えば疑い深いから、お祈りさんではまずだめですね。」

「醒めている」「疑い深い」というのは、われらシラケ世代の特徴でもあった。それは、自律神経失調症の人の特徴でもあるという。
 前述した「助けられたり助けたりが少ない」というのは、派閥を作らないという意味であく、相互協力で上昇を志向する意志がないという意味でもあって、そうした傾向は自律神経失調症と関連がありそうだと書いたつもりなのだが、この本によってそれは裏づけられていることになる。
 ただしそれらは、シラケ世代全般の特徴でもあるとすると、どうなるのか。
 シラケ世代に、自律神経失調症が多い可能性もあるのだが、両者の関係について、考えていきたいと思っている。