しらふ倶楽部

昭和の漫画(劇画)を遠望する

シラケ世代と世代論(1)

世代論について書き始めて、中断してしまったのだが、再開しなければならない。

とりあえず、『世代論の教科書』(阪本節朗著)という本をぱらぱらめくってみた。
次のように分類されていた。
 団塊世代   47-51 (5年)
 ポパイJJ世代 52-60 (9年) 
 新人類世代  61-65 (5年)
 バブル世代  66-70 (5年) (以下略)

「ポパイJJ世代」という見慣れぬ言葉が使われている。こうした特定の雑誌名=商品名を冠した新造語が、今さら定着してゆくとは考えにくい。ましてポパイは1976年創刊、1953年生れが大学を卒業した後にできた雑誌である。JJも月刊誌となって定着したのはポパイより更に遅い。
この世代が前後の世代と比べて9年間という長期間であることも、大雑把な感を否めない。また、この9年間の前半と後半では、ポパイなどのカタログ雑誌(消費志向雑誌)の存在によって、大きな断層があることが想定される。
この9年のうちの前半は、通常は「シラケ世代」と呼ばれることが多かった。ここでは、それを採用する。後半については、とりあえず、「ポストしらけ世代」とでも呼んでおこう。

この本のポパイ世代の章の見出しに「ユーミンからサザンへ、ライフスタイルは音楽とともに」とあるが、この言葉が当てはまる「ユーミン」とは松任谷由実のことであって、荒井由実の時代のほうが良かったというのがシラケ世代の人たちに多いのである。

ポパイとはカタログ雑誌と呼ばれたジャンルの雑誌のことで、当時は面白い面もあると思ったが、われわれがカタログという形式でまとめて見てみたいのは、過去の若者文化やその歴史であって、現時点で大企業が買わせたいものだけを並べるのは、シラケ世代には、売り側の魂胆が見え見えだった。それでも、良いものは良いではないかと割り切る人もいるにはいたろう。
ポストしらけ世代以後の雑誌は、出版社ではなく広告会社が作るものに変質した。雑誌の内容に合わせて掲載広告を広告会社に依頼するのではなく、重要なのは広告なのだから、企画の段階から広告会社に任せたほうが、ことが早いということになり、若者の趣味の一分野だけを扱う雑誌が主流となって、総合雑誌を駆逐する時代になっていった。

この本の団塊の章に「じつは団塊世代の女性は、専業主婦率がいちばん高くなっています」(55p)と書かれてあるが、私が以前に見たデータでは、専業主婦率のピークは昭和28年(1953)生れの女性である。同書は間違いなのかという疑問もでるが、おそらく昭和28年は9年間の1年として括られ、その9年間の平均よりも団塊5年間の平均のほうが少し高かったということかもしれない。9年間の平均と5年間の平均とを比較することが良いのかどうかである。

シラケ世代である1953年生れの女性は、なぜ専業主婦の率が高いのか。
要するに、結婚相手が3歳くらい上の、団塊後半世代が多いからである。団塊世代は人口が多く、4~5人の兄弟は当たり前で、農家の二男以下は新規の非農業従事者ということになる。農家に嫁げば主婦は農業従事者であって専業主婦ではないが、非農家の場合に専業主婦になったということだろう。農家だけでなく小規模自営業も同様である。出生人口の推移と産業構造の変化が原因といえる。そして、以後は「共働き」という形が増えてゆく。

53年以前は、農業人口が多いので専業主婦が少ない。以後は共働きが増えて専業主婦が少ない、ということだろう。

こうした変化の節目の世代なので、これも9年を1括りにできない所以である。ポストしらけ世代からは、年金の支給額がマイナスに転じるだろうという試算もあり、それも時代の区切を表すのかもしれない。

この本の9年世代(ポパイ世代)の解説に「女の子はミニスカートかジーンズで大学に行って」と書かれるのは、事実ではない。1953年生れが大学に入学した1972年には、ミニスカートの女子大生は激減していた。1~2年のうちに一斉にロングスカートに変わってしまって、活動的というより女性らしいファッションになった。当時はファッションセンスはまだイマイチで、次のポストしらけ世代(JJ世代?)から、普通の女子でもセンスが良く見えるようになったのは、前述の雑誌などの影響が大きいのだろう。また当時のジーンズは男女兼用のものばかりで、ナチュラル志向で細身の女性でないと似合わなかった。

次に昭和28年生れを代表して、山下達郎の『アトムの子』という歌について触れる。

happa

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