しらふ倶楽部

昭和の漫画(劇画)を遠望する

「アトムの子」世代とUターン現象

 シラケ世代と世代論(2)

団塊世代に続く1951~55年ごろの生れは、「シラケ世代」の名で呼ばれてきた。
シラケという言葉にマイナス感があるなら、代替案はどうだろう。

ヒット曲というほどではないかもしれないが、1953年生れの山下達郎の曲に『アトムの子』というのがある。「大人になっても、ぼくらはアトムの子供さ」という歌詞で、平和や弱者を助けたり夢を追うことを歌う歌詞である。

アトムとは、手塚治虫の連載漫画としては、1951年の『アトム大使』、1953年からの『鉄腕アトム』の主人公のロボットのことである。1963年にテレビアニメとなり、作者晩年の1980年代にもアニメ化され、昭和の戦後の子供漫画のスターの筆頭であり、「アトムの子」とは、広義には戦後生れのことをいうのかもしれない。

とはいえ狭義の意味では、一少年雑誌の連載漫画ではなく、1963年1月から国産初のテレビアニメとして、ほぼ全国民の知るところとなった「アトム」のことであろう。番組は1966年12月まで続いた。
この1963年は、53年生れが10歳になる年であり、小学3年の3学期になる。10歳になれば「鉄腕アトム」の世界はよく理解できるようになるだろう。1966年の12月は、中学1年で、子供向けアニメからは卒業のころである。

当時は、アトム以外にも多くのテレビアニメが作られ、国産アニメの大ブームとなったのだが、それを支えたのが、この世代ということになる。

この世代のことを「アトムの子世代」と呼ぶのはどうだろう。

山下達郎

山下達郎には『クリスマス・イブ』という大ヒット曲があり、作られたのは1083年だが、JR東海のCMソングになってヒットしたのはバブル期の1988年である。CMにはいくつかのパターンがあったと思うが、旅行ではなく帰省のイメージの映像が多かったような気がする。季語でいえば年末の歌であるせいか。

アトムの子世代にとっては、帰省とは、1974-6年ごろのUターン現象のイメージと重なる。Uターン現象とは、この世代にとって大学卒業の前後のころの現象である。
Wikipediaの「Uターン現象」を見ると、
「1975年から1985年頃まで、地方圏においては、高度成長期を通じて流出が続いた人口が再び増加する現象がみられた」などと簡単な説明がある。
Uターン現象とは、東京一極集中ではなく、若者が故郷へ帰って就職することであり、一時的なものではあったが、当時の注目された現象だった。団塊の世代の政治の季節は終ったが、公害問題や自然環境への危機意識は続いていて、高度成長の終りを予感させる時代でもあり、東京を離れようとする若者が、実際増えた時期があったのである。
若者とは、どの時代も成功を夢見て都会へ出たがるものだが、そうでない傾向の時代があったことは、再認識する必要があるのではないか。それがこの世代を理解するための鍵の一つにはなるだろう。より詳細な研究が待ち望まれる。
1975年の太田裕美のヒット曲『木綿のハンカチーフ』にも、Uターン現象の時代背景があったといえる。