しらふ倶楽部

漫画と劇画の懐かしき日々

「母もの」と継子物語

ねじ式
  (上の画像は、つげ義春の『ねじ式』の一場面。)

寺山修司対談集 浪漫時代』(河出文庫)の中に、「母」と題する石子順造との対談がある。
石子氏の晩年の『子守唄はなぜ哀しいか』(1976)が出た直後のものだろう。「母もの」といわれる映画や文芸をめぐっての内容である。「母もの」についての辞典的な説明はここでは略す(映画でいえば『瞼の母』に代表されるもののことである)。

石子氏によると、母もの作品は明治30年以後に現れ、社会の近代化の過程で、西洋型の神をもたなかった日本人が、近代的自立よりも孤立へ向かったしまったことの反映ではないかという。
なるほど、西洋では絶対神があり悪であるサタンは排除すれば済んだようなところがあるが、日本には八百万の神があり、貧乏神もあれば荒振る神もある。荒振る神などは排除してオワリというわけにはいかない。そのため、いわば癒しとしての母、理想化され「神」に近いような「イメージとしての母」が必要になったともいえる。
「どこかにもう一人本物の母がいる」という意識、それが「イメージとしての母」だと寺山氏もいう。ただしそれは母に限らず、父についても、本当の父親が別のところにいるはずだということを考え続けた国文学者もいたと思う。

ところで日本人は無闇に母を理想化してきたわけではない。継子物語には意地悪な継母がいる。物語の継母は、即ち、母の裏面であろう。「イメージの母」が神に近いものだとすれば、母の魂にも、和魂と荒魂があり、この荒振る母は、日本人には排除の対象ではなく、鎮魂の対象になるのだった。
最近は継子物語もあまり流行らないかもしれないが、昼メロなどに多い嫁姑問題は、継子物語の変種とみることもできる。イメージの母、瞼の母がやや男性的な視線からの見方だとするならば、母もの~継子物語~嫁姑や嫉妬ドラマという一連の物語に女性たちがどのように関わってきたかを考えてゆくのも重要になってくるだろう。

江戸時代の日本人は「土地に緊縛されていた」が、明治時代に土地から相対的に自由になり、母なる故郷の喪失を感じるようになったという面も語られていた。
(読者の誤解なきよう付け加えれば、「土地に緊縛」とは、封建制度のことではなく、税制のことである。田畑の所有権を維持するためには、年貢米等を納めねばならず、耕作しなければならなかった。明治以後は人口増加により、二男三男はそもそも土地を持てなくなって自由になったということ。)

欧米には日本の母もののようなものはないのかもしれない。ただし、ウィーン民謡の「私のママはウィーン生れ」などの歌詞の直訳の翻訳文などを見ると、日本人の目には、ひどいマザコン男に見える。ひどいというのは、日本人によっては気持ち悪いマザコンと感じることもあるだろう。西洋にもホンネとタテマエはあって、ホンネの部分を見たような気がする。日本では1200年前の源氏物語以前から不倫物語はあるが、西洋では源氏よりも新しい「トリスタンとイゾルデ」でも、眉薬を誤って飲んだためにそうなったと言い訳しながらの物語しかなかったといわれ、ホンネは隠され続けてきたかもしれない。

母ものの出現は明治30年代以後だというのは、やはり西洋の小説などにヒントを得たのがきっかけかもしれないと思う。岡本綺堂の捕物帳も西洋の探偵小説だそうだし、時代は新しいが長谷川伸の股旅ものは西部劇。明治30年は「金色夜叉」が書き始められた年である。落語の人情噺なども、同じ時代に整備されていったかもしれないと思う。

加藤泰監督の映画『瞼の母』は傑作だと思う。
ラストシーンについて、長谷川伸の原作の初稿では悲劇的すぎるとして、忠太郎と母が手を取りあって親子の名乗りをあげる話に改作されたものが上演されることが多かったそうだが、加藤泰監督は初稿の結末に戻したらしい(高野信三『宿場行』による)。忠太郎は耐え続けなければならない。
瞼の母は、「そんなに母親に会いたいならば、なぜまともな生活をしていないのか」と言って忠太郎を息子とは認めない。それは世間体がどうのこうのという解釈もあるのかもしれないが、「荒振る母」の一面でもあろう。
また映画では、残暑のころの盆踊の場面に始まり、秋の大井川あたりの渡し、雪の両国橋、富くじの場面と続き、ラストは桜が咲いていたと思うが、季節の風景も美しかった。
一人娘の嫁入りが決まった話は何かの間違いで、婿をとるのが普通だと思う。やくざな兄が現れては妹の縁談に迷惑という設定は良いのだが。

対談の中で、「瞼の母」という「共同幻想」は(即ち国家なので)「母親帝国主義」(寺山)という言い方も出てきたが、1970年代らしいのかもしれない。「母」は美しいばかりのものではないことは、既に述べた。
近代的個人の自立の妨げになっているといっても、母ものは永遠のモラトリアムのようなものである。小此木啓吾『阿闍世コンプレックス』でも、『瞼の母』について詳細に分析されていた。