しらふ倶楽部

昭和の漫画(劇画)を遠望する

自分史的漫画50年史(2)1962年

●1962年~63年

    子供時代の記憶について
 1962年は小学3年生。ときどき集英社の『日の丸』を買ってもらったが、記憶に残るものはない。
 学校の図書館から、ときどき本を借りていたと思うが、ほとんど内容を記憶していない。記憶にあるのは、3年生だったかは曖昧だが『ピノキオ』と『野口英世』の伝記くらいだ。
 『ピノキオ』は、悪戯をすると鼻が長く伸びてしまうときの恐怖感が、記憶にある。『野口英世』も、囲炉裏に落ちて火傷を負うときの恐怖感であろう。2年生のときの手塚漫画『ナンバー7』でも記憶にあるのは恐怖の場面だったと前回書いた。子供時代に強く記憶に残るのは、恐怖感なのであろうか。しかし楳図かずお古賀新一などの恐怖漫画は、内容は何も記憶にないので、それは別種の「恐怖」なのかもしれない。

 学校の図書館の事務のおばさんとは顔見知りになって、よく声をかけてもらっていたので、たびたび本を借りていたと思う。だが借りた本の題名の記憶まではほとんどないのは、なぜだろう。人によっては、低学年のうちから、読書による強い影響を語る人もあるが、人それぞれなのであろうか。

 もう1つ記憶にあるのは、楠山正雄の昔話の再話で、臼から塩が噴き出て止まらなくなる話。『塩ふき臼』という題名だろうか。

    少年雑誌
 集英社の雑誌『日の丸』は、元は『幼年ブック』といっていたものを改題したものらしい。低学年向けの少年雑誌ということだが、63年2月号で休刊した。3年生の3学期だった。今後は同社の『少年ブック』を読みましょうという宣伝があった。
 『日の丸』終刊号を検索して調べてみたら、見覚えのある表紙で『秘密兵器』という別冊付録が出た。この別冊は記事が少しあるほかは短編漫画集であり、A5判で230ページ以上の量がある。漫画は新人の作が多いが、戦争末期の「人間魚雷」の漫画が記憶にある。これも、死を身近に感じる怖いストーリーだった。

 A5判の短編集という形態は、当時の貸本屋で人気の『影』や『街』などを真似たのだろうか。
 この別冊付録は、今も保存してある。
(すぐ出てこないので、とりあえずネット画像。見つかったら画像は入替え予定)

日の丸 別冊付録

 講談社の漫画雑誌は低学年向けが『ぼくら』、高学年向けが『少年クラブ』だったが、『少年クラブ』は早くに休刊になり、59年から『週刊少年マガジン』が高学年向けということだった。
 同じ59年に小学館の『週刊少年サンデー』も創刊された。小学館は、『小学○年生』などの学年別雑誌が有名だった。
 週刊誌は、東京の親戚の家で、積んであったのを見て、連載漫画を追って続けて何冊も読んだことがあるが、微妙な違和感を感じた。月刊誌を大事に同じものを何回も読むほうが、安心感があった。何回も読んだわりには、内容の記憶はほとんどないのだが。

    漫画少年世代
 低学年向けの『日の丸』が休刊したときは、小学3年生の3学期のときだった。タイミングとしては、ちょうど良い時期である。その年の1月からは、国産初のテレビアニメ『鉄腕アトム』が放映開始。小学生時代の後半に『鉄腕アトム』を体験できたのは幸運だった。月刊少年誌は次第に休刊になるが、『少年ブック』は中学卒業のときの休刊で、タイミングがよかった。『少年マガジン』の全盛期は高校生のとき。全盛期とは、『あしたのジョー』の力石の葬式の前後のことである。
 虫プロの『COM』は中学2年から高校3年まで。『月刊漫画ガロ』の全盛期もその時代であり、少し値段のはる『夜行』(北冬書房)は大学1年から。
 以上、どれも絶妙のタイミングで経験したように思う。まさに漫画少年世代だったのだろう。
 ただし『ガロ』については、高2からなので、全盛期の終盤を少し体験しただけだった。『ガロ』の初期は団塊世代が中心だったのだろう。だが団塊世代はテレビアニメとは縁が薄い。