1969年は個人的に高校進学もあった年なのだが、マンガ以外の本も少しは多く読むようになったと思う。
マンガ関係で何冊か選ぶとすると、
5月25日発行の『ぼくはマンガ家』(手塚治虫、毎日新聞社)。
これは活字の本だが、漫画家の自叙伝というのが、これまではなかったと思う。内容は個人的なことを書くというより、本人を含め戦後のマンガが目指してきたものを、論評を加えながら整理して述べた「戦後マンガ史」というべきものだった。
ちょうど昨年秋から小学館の『手塚治虫全集』が毎月2冊のペースで刊行されていた。「全集」の名のつく漫画本はこれまでもあるにはあったが、毎月2冊というペースから相当な冊数の全集となることが期待され、これも漫画家としては初めてのことだった。(この全集が翌年末に40冊で中止されてしまうのは、虫プロの経営問題がからむのだろうか?)。
虫プロの雑誌『COM』は、継続購読だったが、やはりマンネリを感じてくるのは、同誌が曖昧なままの「児童マンガ」重視へ向かっていったからだろうか。
手塚の著書に出て来る昭和20年代の「赤本」の一冊を古本屋で入手したのは、この年である。東光堂の『拳銃天使』で、「奇蹟の森のものがたり」と2冊の合本のような内容であり、昭和30年頃の再版物である。値段は当時の定価よりも2割ほど安くなっていて、古本漫画のブーム以前の時代だったからだろう。古本屋はよく利用することが多くなっていった。
手塚治虫全集という個人全集が注目され、さらに「漫画全集」というか、箱入の上製本で、代表的な漫画家一人に一冊を当てて全十数巻というシリーズが、双葉社と筑摩書房から刊行され始めた。少し前からマンガ・ブームと呼ばれたものが定着したということだろう。
双葉社は「現代コミック」、筑摩書房は「現代漫画」というシリーズ名で、年末に双葉社の「つげ義春集」、翌年1月発売で筑摩の「つげ義春集」が刊行され、どちらを選ぶか迷った記憶がある。他につげ作品集としては、前年(1968)のガロ増刊つげ義春特集は品切状態、青林堂の『つげ義春作品集』という大判の分厚い重量感のある上製本もあった。けっきょく双葉社の「つげ義春集」を購入した。
11月30日発行の『現代満画論集』(青林堂)は、前述の手塚の著作が触れられなかったようなことを含んだ一種の評論的マンガ史でもあると思う。特に、つげ義春の存在や、貸本劇画とよばれる未知の世界のことが書かれていた。つげ作品はこの年まで読んでいなかったので、翌1月に購入したことは前述の通り。
自分の習作については、芳しくなかったのは、刺激が少なかったからかもしれない。自作を再編して製本などをしていた。自作10冊めの『短編集・初雪』を年末年始にまとめ、新年にはそれを持ち歩きながら、校内で「漫画研究会」を立ち上げようということになった。