2022-01-01から1年間の記事一覧
●1963年 週刊少年キングなど 63年2月号で『日の丸』が休刊になったあと、3月か4月ごろ、叔母がまちがって『少年ブック』ではなく『少年画報』を買ってきてくれた。それでも『少年画報』の懸賞に応募すると、当選はなかったが、少年画報社から『週刊少年…
●1962年~63年 子供時代の記憶について 1962年は小学3年生。ときどき集英社の『日の丸』を買ってもらったが、記憶に残るものはない。 学校の図書館から、ときどき本を借りていたと思うが、ほとんど内容を記憶していない。記憶にあるのは、3年生だっ…
●1961年~62年 手塚治虫の「ナンバー7」 子どものころに見た漫画の最も古い記憶は、雑誌『日の丸』に連載されていた手塚治虫の「ナンバー7」のある1ページである。小学2年生のときだった。 『日の丸』は集英社の低学年向けの少年誌であり、高学年…
『つげ義春漫画術』は、つげ氏の全作品をふりかえってのインタビューが中心の本で、索引は特にない。そこで、話題に出た本と著者の名前を、リストアップしてみた。当時つげ氏が読んでいた本、作品のヒントになったり影響を与えたかもしれない本などの一覧と…
つげ義春について、短編が主ではあるが、物語やストーリー展開の「上手さ」ということは、たびたび指摘されている。『つげ義春漫画術』という長時間インタビューの本によれば、つげ氏の若い時代には、探偵小説では、横溝正史のようなおどろおどろしいものは…
あまり知られていないかもしれないが、昭和の終りのころ『民族宗教研究』という雑誌があり、創刊号は昭和55(1980)年12月1日発行、 創刊号の巻頭には、水木しげるの「妖怪について」というエッセイが掲載された。https://www.kosho.or.jp/products/detail.php…
(上の画像は、つげ義春の『ねじ式』の一場面。) 『寺山修司対談集 浪漫時代』(河出文庫)の中に、「母」と題する石子順造との対談がある。石子氏の晩年の『子守唄はなぜ哀しいか』(1976)が出た直後のものだろう。「母もの」といわれる映画や文芸をめぐっ…
手塚治虫について、代表的な作品を10~20程度を選んでみるのも一興かと思い(15作品を選んでみた)、作品を思い出してみると、昭和20年代の単行本では『化石島』と『罪と罰』が良いと思う。どちらも20年代後半(1950年代前半)の作品で、手塚人気は20年代前半…
『つげ義春大全 別巻1 (随筆)夢日記 僕の漫画作法』(講談社) 発行は2021年2月。帯裏に「つげ義春大全 堂々完結」と書かれる。大全のうち初期作品のカラーのものを何冊か揃えていたが、そろそろ完結したのではと思って調べてみると、とっくに完結していた…
『つげ義春を旅する』(高野慎三著、ちくま文庫)は、つげ作品の舞台となった地を訪ね歩いた本である。 『池袋百点会』という短編に登場する錦糸町の「ランボウ」という喫茶店は、実際は「ぶるぼん」という名で、1960年前後のころに作者が毎日通った店らしい…
『石子順造的世界』(美術出版社 2011)は、著作では知りえない氏の横顔などが見えて興味深い。『漫画主義』の同人3人(高野慎三、山根貞男、梶井純)による座談会では、石子氏の思想の"ルーツ"ないし思想形成過程などに話が及んでいる。 だが、氏に強く影…
久しぶりに、石子順造氏の本を取り寄せて読んだ。 『マンガ/キッチュ 石子順造サブカルチャー論集成』小学館クリエイティブ 2011年発行「単行本未収録」の小論などを集成した本である。 氏の生前の「単行本」は、共著をふくめて15冊ほどだが、その全部を読了…
アトムの子世代といえば、1953年前後の生れ。1953年生れの有名人といえば、大相撲の世界で、若手のホープ時代に「花のニッパチ組」と呼ばれて注目された力士たちがいて、(ニッパチとは昭和28年生れから)、横綱となった北の海や二代目若乃花などがいた。 芸能…
シラケ世代と世代論(2) 団塊世代に続く1951~55年ごろの生れは、「シラケ世代」の名で呼ばれてきた。シラケという言葉にマイナス感があるなら、代替案はどうだろう。 ヒット曲というほどではないかもしれないが、1953年生れの山下達郎の曲に『アトムの子』と…
世代論について書き始めて、中断してしまったのだが、再開しなければならない。 とりあえず、『世代論の教科書』(阪本節朗著)という本をぱらぱらめくってみた。次のように分類されていた。 団塊世代 47-51 (5年) ポパイJJ世代 52-60 (9年) 新人類世代 61-6…
菊地信義氏は本の装幀でおなじみの人だが、『装幀の本』(リブロポート1989年4月)という本がある。その年は平成元年なので、内容は昭和時代の(菊地氏にとっては初期の)本の装幀の仕事のことになる。いくつか気になる本が載っていた。漫画家の絵をデザイン…
中学高校生時代というのは、何かスポーツなどで少しは体を動かしたほうが良いのだろうということを、自身の反省をこめて、いつか子孫などに言い残そうと思っていた私の若い日があった。 学生のころは体調が悪いと何事も欠席が多くなり、おそらく「つきあいの…
「『ガロ』と北海道のマンガ家たち展」記念誌(市立)小樽文学舘 2016年ガロの元「編集長長井勝一没後20年」での企画があり、その記念のパンフレットを最近借りたので読んでみた。 類似の特集雑誌などを読んではいないが、本書は小冊子ながら、充実した内容…
終戦の日の前夜、8月14日に、埼玉県熊谷市の市街地が米軍の空襲を受けて、甚大な被害をこうむった熊谷空襲について、70数年を経て可能な限りの人々の記憶を残そうとした書である。 『最後の空襲熊谷 8月14・15日 戦禍の記憶と継承』熊谷空襲を忘れない市民の…
『グランドール』とは、手塚治虫のSF漫画(異星人の侵略物)である(1968年「少年ブック」連載)。 侵略者は、グランドールというあやつり人形を、人間の姿に変えて人間たちのなかに紛れ込ませ、人間全体を操ろうとする。 哲男少年が助けた少女は、グラン…
『談 100号記念選集』は、『談』という雑誌が2014年に通巻100号を記念して発行されたアンソロジーである。500ページ超の厚い本。 http://dan21.livedoor.biz/archives/52014417.html いくつか拾い読みして目についたページは、 「ガストロノマドロジー事始め…
鈴木翁二著『少年手帖』(望遠鏡社版)は、1982年6月30日の発行である。 本の奥付にある雨影知逢という人物が、本ブログの管理人ことわたくしのことであるが、ちょっと出過ぎの感があり恥入るばかりであるので、もし再刊の折りには該当かしょは目立たなくす…
つげ義春の『長八の宿』は、ある青年が、西伊豆にある「長八の宿」と呼ばれる旅館に宿泊したときの話になっている。 旅館の女中さんたちや下男のジッさんたちと、青年とのユーモラスなやりとりが、ほほえましく楽しい。 女中頭のお金さんは、建物のしっくい…
私の20代のころの作文は、ボキャブラリ不足のため注釈なしでは読めない難文が多いが、『童謡詩集』は例外である。 中学生時代は手塚治虫風の漫画を書いていたが、高校1年の秋につげ義春の漫画にふれて、手塚風のタッチから脱却をこころみるようになったのだ…
印刷ショップへ送ったデータを取り違えてしまって、表紙と背に作者の名がのらないなどのミスが出たため、背表紙の一部から裏表紙の一部にかけてシールを貼ることになった。発行元(銀音夢書房)の名義はシールの背と裏の2か所に載る。 以下は、後書き風の「…
新しいブログを始めることにした。タイトルは、なかなか良いのが思いつかず、「しらふ」+ラフ の語呂合わせが浮かび、 しらふLOVE(ラブ) しらふ狂詩曲(ラプソディ)などが思い浮かんだが、けっきょく しらふ倶楽部(クラブ)ということになった。