しらふ倶楽部

雨と影、知逢ふところ

『最後の空襲 熊谷』、反戦とは何か


終戦の日の前夜、8月14日に、埼玉県熊谷市の市街地が米軍の空襲を受けて、甚大な被害をこうむった熊谷空襲について、70数年を経て可能な限りの人々の記憶を残そうとした書である。

『最後の空襲熊谷 8月14・15日 戦禍の記憶と継承』熊谷空襲を忘れない市民の会、社会評論社2020

本を開いてすぐ、当日の被災状況を示す地図はないかと探すと、巻末の資料編にあった。
地図を見ると、中山道を中心に市街のほとんどは焼け野原となったようだが、駅や鉄道施設に被害はない。ほかに熊谷寺から東の役所の多いエリアも空襲を受けていない。
本文によれば、終戦前夜の急な空襲の理由について、4つの理由を想定しているが、そのうちの1つ、戦後の米軍支配に便利なように(鉄道などを残す)というのが1番であろう。3月の東京大空襲の被災を免れたエリアについても同様のコメントをきくことがある。
東洋人に対しては無差別的な空襲も問題視しない白人が多くいたというのは、本書のいくつかの理由項目には入ってなかったと思う。

熊谷空襲

 座談会では、若干意味不明な発言が気になるところもある。
「変らないでしょう。今だってそんなに変らない。当時は神様でしたから。象徴天皇はGHQが作ったものですよね。日本の歴史にはないですね。」
 変らないといいながら、日本の歴史に全くなかったものが、初めてGHQによって作られたという。このへんは、右派の発言と奇妙な一致を見てしまうので要注意だ。(普通は明治から戦前期の西洋を真似た「軍人皇族」の時代だけが異常な時代とみる歴史家が多い)
「奇妙な一致」とは、江戸時代を非人道的な暗黒社会だったという歴史の歪曲についても、明治の末ごろから、右派と左派で奇妙な一致を見ていた(佐藤常雄『貧農史観を見直す』)。そこから一気に軍国化が進んだ。その過程では、反天皇制ばかり主張して反戦のハの字も言わなかった者たちの問題も、小さくはなかったはずだ。(昭和の戦前、戦中における)反戦の否定についても奇妙な一致があったとしかいいようがない。

 大事なのは、反戦ということ。