しらふ倶楽部

昭和の漫画(劇画)を遠望する

モダニストについて少し

手塚治虫とモダニズムについては、われながら新しい見方で面白いと思ったが、
これまで日本のモダニズムなるものについて、論評などはあまり読んだことがないので、最近になって少し本をあさっている。
昭和初期の日本モダニズムは、あまり思想的なものはなく、風俗重視が特徴だという通説の通り、評論類はあまり面白いものが見つからない。

自分自身の読書歴をふりかえってみると、モダニストといってもよい著者のものを好んで読んできたような気がする。
たとえば、マンガや美術評論では、石子順造。石子のことを、要するにモダニストだと高野慎三氏が対談か何かで語っていた。高野氏も銅板建築の写真集を出すくらいだから、モダニスト的なところがあるのではないか。
エッセイ集でいちばん冊数を読んだのは丸谷才一だが、モダニズム文学はこの人だろう。
もっと古い作家を調べると、ある雑誌が「伊藤整モダニズム」の特集を組んでいたので、伊藤整のエッセイ『芸術は何のためにあるのか』を読んでみると、初めて読む文体ではないような気がして、これがモダニストの文章かと、納得した。ユーモアに富み、論理的で、曖昧な表現がないのが良い(論理性はもの足りないところもあるが)。

以上、三人の名をあげたが、ある共通点に気づいた。三人とも芸術文学裁判の弁護人または当事者である。赤瀬川原平の千円札裁判における石子順造四畳半襖の下張り裁判の丸谷才一、チャタレー裁判の伊藤整。なにか意味がありそうだ。

もう一人手塚治虫の名を最初に書いたが、手塚は、悪書追放運動の当事者でもあった。