自分史的漫画50年史(5の2)
1965年に集英社の雑誌『少年ブック』9月号を買うために、本屋まで30分以上を歩いたのは、小学校6年生の夏休みのことだった。
きっかけは前年の光文社のカッパコミックス『鉄腕アトム』がだんだん飽きてきて、65年は集英社のテレビコミックス『ビッグX』を8号まで読んだところで、連載中の最新作を読みたくなったからである。付録が満載の月刊雑誌を自分で買うのは初めてのことだった。
今回、この9月号を、古本として比較的良心的な値段で入手できた。私の記憶では、この号には「マンガの描き方」の特集記事があるはずで、その内容を見てみたかったのだった。
本を開くと、「特集 きみもマンガ家になれる!」という記事が11ページも掲載されている。「監修 手塚治虫 横山光輝 ちばてつや」とあり、「案と話のつくりかた」のページを見ると「展開法」「帰納法」など、小学生には難しい言葉が並んでいた。その部分は、あとで見た手塚治虫の『漫画大学』の要約のような記事である。「構図は三角形が基本」というのも「漫画大学」で言われている。11ページにわたって、いくつかのポイントに限れば、本格的ともいえる内容の記事が続く。
当時この特集を何度も読んで、鉛筆書きではあったが、小さな漫画雑誌を自分で作り始めたのだった。
「案と話のつくりかた」のページの中の絵の女の子は、手塚治虫『ビッグX』の少女ニーナであり、可愛く描かれている。手塚漫画の魅力の一番は、絵のモダンさ、バタ臭さだったとは、つげ義春氏も語る通りであるが、1960年代でも、手塚の女の子の描き方は垢抜けて見えた。手塚人気の理由の一つだったろう。
せっかくなので、掲載漫画のいくつか読んでみると、森田拳次の『コン平党』が、テンポの良い落語調でよくできていて面白い。2~3コマで次のギャグへというテンポも良く、世相の扱い方も的を得ている。1965年頃は、庶民にも乗用車が普及し始める時代なのだが、塾の教師が高級車に乗ってさっそうと現れる。学習塾へ通う子も徐々に増えた時代だった。お茶とお花と行儀作法の女の先生は、スポーツカーで長髪をなびかせて肉屋へ買物に行く。だが、われらの担任教師は、ポンコツ自転車に乗って登場する。塾の教師より学校教師のほうが給料が安かったのだろう。そんな先生も、次の場面では、スバル360のような5万円だったという中古車を購入して現われ、また一騒動。
子どもたちのグループの中に、「○□」のメガネの男の子がいて、着物姿て落語家の卵かといった雰囲気。「塾へ行ったことがあるか」と問われて「ある」と答え、「どこの塾か」と聞かれ「東京駅から中央線に乗り換えて四谷の先の……」と言えば「それは新宿で、ジュク違いだ」というギャグもある。
森田拳次は、良質の落語の雰囲気があり今でも面白い。時代風俗を適確にとらえた場面などは、今では懐かしさも感じられるので、それもプラス材料である。
赤塚不二夫のマンガは、登場人物は個性的なのだが、それぞれが人気の喜劇役者のようであり、読者はそれぞれのファンになり、さあ今度はどんな面白いことを言うのだろうと待ち構えるような按配だった。今も受けるかどうかは不明。
手塚の『ビッグX』は、「ムーンパイロットの巻」の最終回、途中から「ミクロXの巻」が始まる。実質はこの号でビッグXは終ったようなものだ。
「ミクロX」とはビッグXとは反対に体が小さくなる薬のことで、連載の延長を渋る手塚に対して編集者が出した思いつきのアイデアらしい。ストーリーは悪人の野望の話ばかりで、「38度線上の怪物」のような異次元の旅があるわけではない。ニーナは最終回の大団円でちょこっと登場する程度だった。
それでも当時は、次回は面白くなるだろうと期待して、毎月読み続けたものだった。